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宮前町教会の歴史
疲れた者、重荷を負う者はだれでも私のもとに来なさい。休ませてあげよう

宮前町教会のなりたち
このあたりがまだ亀田村と呼ばれていた1901(明治34)年、パリ外国宣教師会のベルリオーズ司教が現在の敷地に二間の小さな民家を購入し、亀田教会としたところから子の教会の歴史は始まります。
多くの宣教師たちの熱心な布教により信徒数も少しずつ増え、1924(大正12)年にはベルリオーズ司教により新しい聖堂が建てられ、1931(昭和6)年に宮前町教会となりました。
戦争中は外国人司祭は帰国を余儀なくされるなど、大変困難な状況になりましたが、日本人司祭や信徒の強い信仰で乗り越えることができました。
戦後は再び外国人司祭も戻り、若い信徒も増えて活気ある教会となっていきました。1965(昭和40)年には格子柄を取り入れた和風な聖堂が建てられ、小聖堂には前聖堂から移された祭壇が使用され、それは現聖堂の祭壇にもなっています。2001(平成13)年には創立100周年を迎えました。2005(平成17)年には円形のコンクリート建築の聖堂が建てられ、新しい時代の宮前町教会を表すものとなっています。

1931年当時の教会

1965年当時の教会
大千軒岳殉教記念ミサ
函館から西に50㎞ほどにある大千軒岳は殉教の歴史の山です。1549年にキリスト教が伝来しましたが1613年にはキリシタン(切支丹)禁教令が布告され、全国的に司祭や信徒への弾圧が厳しくなりました。信徒たちは信仰を守るため津軽海峡を超え松前に渡りました。松前藩ではまだ弾圧が厳しくなく多くのキリシタンが大千軒岳の川で砂金掘りの鉱夫として暮らしていましたが、ついに106人のキリシタンが処刑されることとなりました。1639年、今から約400年ほど前の事です。
函館地区のカトリック教会では1959年からこの殉教地大千軒岳山中の知内川上流「金山番所跡」において、毎年7月の最終日曜日に殉教記念ミサを行っています。司祭とともに険しい山を登り殉教者に思いを馳せミサを捧げます。宮前町教会にはこの殉教ミサを支えてきた信徒が多数おり、資料を保管して後世に伝えています。

金山番所跡の十字架
守護の聖人 大天使聖ミカエル
ミカエルは「神と似た者」という意味も持つ天使で、悪魔と戦ったとされています。フランシスコ・ザビエルが日本の守護者として定め、宮前町教会においても守護の聖人として、日々私たちを守ってくださっています。
